そこで、王妃がその時代のファッションを創り出したといわれるほどである。
ファッションが最大の関心事であるアントワネットが、その忠告や意見を尊重したのは、身分卑しいただのファッション・ブティックの経営者マリ=ジャンヌ・ベルタンである。
自分で選んだ仕事用の名前はローズ、すなわち薔薇である。デザイナーにふさわしい名前といえよう。
ベルタン嬢は、現在でもパリの有数のファッション街として有名なサント・オレノ街に店を構えていた。
可愛らしく、頭も悪くないし、ファッション・センスも良く働き者なので、みるみる頭角を現していった。
そうしているうちに、王族のシャルトル公妃がベルタンのお得意様になったため、上流社会に進出するチャンスができたのだ。
そして、1774年にシャルトル公妃の紹介で王妃と対面したのが、ベルタン嬢にとっては、決定的な幸運だったのである。
ベルタン嬢を紹介されるまでは、アントワネットの服装についての趣味は簡素なものだった。
が、ベルタン嬢は毎週少なくとも2回、多ければ毎日のように生地見本やリボンや羽飾りを満載した自家用馬車でパリからベルサイユにやってきては、王妃の私室に引きこもって、何時間も、最新の流行についての意見を出し合い、新しい服の注文をもらうのだった。
王妃があまりにも、ベルタン嬢の意見に耳を傾けるので、世間ではベルタン嬢のことを「王妃のファッション大臣」と呼んでいたほどである。
一平民が王妃の私室に王妃と二人で引きこもるなどということは、格式のうるさいベルサイユ宮殿ではおよそ考えられないルール違反である。年若い王妃は、宮廷の伝統や慣習や、礼儀作法や儀式を平気で先頭にたって無視し破っていたが、これによって自分の存在自体や既得権を無視された貴族などの反感や恨みを買っていることには気付かなかったようである。
更に、国庫の赤字が増える一方なのに、衣装を始めとするアントワネットの浪費ぶりは国民の反感を招いた。
例えば、王妃の衣装用の年間予算は1725年以来12万リーブルであったが、毎年赤字が計上されるのは常識だった。赤字額は1776年は28000リーブル、1783年の83000リーブルと増加している。1783年の赤字については、衣装部屋の主任女官はベルタン嬢のせいだと報告している。
なにしろ、毎年のベルタン嬢への支払いは10万リーブルを超えていた。尚、当時の肉体労働者の平均日給は1リーブルである。
しかも、ベルタン嬢との親密さゆえに、レズビアンの疑いをかけられるなど散々だったのです。
ベルタン嬢と知り合ったことは、アントワネットにとってはマイナスであったのでしょう。
しかし、アントワネットの心情を考えてみると・・・、女性の私自身も、ファッションや買い物などはストレス発散になります。
だから、窮屈な宮廷暮らしの中で、唯一のストレス発散方法だったとは思うのですが・・・、食べることで精一杯な平民からすれば、理解し難いことなのでしょう。