マリー・テレーズマリー・テレーズ
どんっ(衝撃)1792年、タンプル塔に国王ルイ16世一家は幽閉され、三階と四階が国王一家の居住空間にあてられたが、その時マリー・テレーズ13歳だった。
父が処刑され、続いて母アントワネットは、コンシェルジュリに移送された。
そして、一緒に生活して彼女の面倒を見てくれていた叔母のエリザベスも1794年に、処刑台へ送られ、彼女は独りぼっちになってしまう。
母と叔母が処刑されたこと、4階にいた弟のルイ・シャルルが、翌95年6月8日に死んだことも知らされなかった。
その後、1796年、彼女はオーストリアのウィーンの宮廷で皇帝に迎えられた。母親の実家に戻ったことになる。
まだ彼女は17歳だったが、両親を救い出してくれなかったオーストリアの宮廷に対しては、よい感情をもっていなかったようである。

そして、1799年、アングレーム公爵と結婚をした。しかし、彼は人間的には立派であったが、容貌がひどかった。
しかも、性的不能者とあって、二人の間には子どもができなかった。
その後、亡命の日々を送り1814年、祖国フランスに舞い戻ってくる。
乙女時代には、笑顔の美しい優しい少女だったのに、両親をギロチンで失い、単身で1年以上も狭い塔の中に幽閉され、その後は長年の亡命生活で苦労した為か、帰国した35歳の彼女には、女性としての魅力が欠けていたという。
大柄な身体によく引き締まったウエストとか、灰色がかった薄い金髪などはよいとしても、赤ら顔の険しい表情とか、男のように太くしゃがれて耳障りな声などは、決して美点とはいえず、母が持っていた魅力と愛想の良さに欠けていたわけである。

そして、彼女は最終的にはゴーリッツに定住している。そして1851年、死去している。72歳だった。

目両親とは死に別れ、結婚した相手が性的不能者、しかも一生の半分近くを亡命先で過ごしているのだから、気の毒な一生だったのでしょう。
尚、彼女の人生には愛人や恋人は一人もいなかったようです。
堅物というか、真面目というか、あまりにも人間的に面白味に欠けた女性だったわけです。
フランス革命なんかにでくわなければ、きっと彼女は母親譲りの、魅力的な女性として世に名を残していたことでしょう。
それにしても、写真のマリー・テレーズは、誰かに似ています。こんな女性タレントいましたよね・・?




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