ルイ・シャルルルイ・シャルル
どんっ(衝撃)父方ブルボン家と母方ハプスブルク家の血統を受け継ぎ、ブロンドの巻き毛とブルーの瞳は母親似であったルイ・シャルル
愛情ある茶目っ気のある性格は、アントワネットの母性をくすぐり、母は「私の愛のキャベツ」と呼び、ありったけの愛情を注いだという。
愛情たっぷりの中で、満たされた日々を送っていたシャルル・・。
しかし、4歳の時に兄が病死し、王太子となった。その直後に、バスティーユ襲撃に端を発するフランス革命が勃発した。
 そして、父、母、叔母が処刑され・・・、彼はタンプルで、1人、孤独と闘うことになる。
陽光も差さず、風も通さない、八畳ほどの独房で、小窓からパンとスープが差し出され、それが一日の唯一の行事。
かさぶたと腫瘍に覆われ、頭は垂れ下がり、顔・脚はやせ衰え、腹部は腫れ、慢性の下痢に苦しむシャルル・・。
革命最中の1795年に、シャルルを診察した外科医は、あまりにも惨い仕打ちを受けた状態に、驚きを隠せなかったという。
シャルルの最期は、呼吸困難に陥り、慌てて抱き上げた看守の腕の中で「長い長い溜息」をついた後、息をひきとったということである。
死因は結核とされたが、「長い間堪え忍んだ、肉体と精神に対する酷い仕打ち」が死因と、王政復活後に訂正しとされている。
そして、タンプルのルイ・シャルルが幽閉されていた部屋の壁には、炭で「ママ、僕は・・・」と書かれていたという。

目ルイ・シャルルすり替え事件は、有名な話しです。
しかし、2000年4月19日に、パリで鑑定結果の記者会見が行われました。
アントワネットの遺髪、心臓の遺伝子がピッタリだったのです。タンプル塔で獄死したのは、まぎれもなく、ルイ・シャルルでした。→シャルルのすり替え事件はでっちあげ?
これは、ある意味で、フランスの歴史が抱える人道的な苦悩にピリオドを打ったことになるのではないでしょうか。
それに、ルイ・シャルルは、自由・平等・博愛をかかげた人権宣言の、舞台裏の犠牲者です。しかし、2000年に、「全ての苦しみ、全ての恨みを忘れなければならない」という、父の遺言を受けたシャルルの真実が明らかにされた意味は大きいのではないでしょうか。
それにしても、タンプルで、部屋の壁に書いたシャルルの言葉・・・。母に、何を語りたかったのでしょうか。




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