エリザベスエリザベス内親王
どんっ(衝撃)エリザベスは、ルイ16世10歳年下の妹である。
 革命裁判所で死刑判決を受けたアントワネットが、刑場に赴く直前、最後の力を振り絞って義妹エリザベスに宛てた手紙を書き送ったことは有名な話しである。
しかし、遺書とも言うべき最後の手紙を託す相手が、なぜ義妹だったのだろうか?
それはそうと、アントワネットとエリザベスは革命前からずっと大の仲良しだったのである。となれば、遺書を託すべき最適の人間は、エリザベスということになる。
しかし、その手紙は・・・革命裁判所に留め置かれ、エリザベスには届かなかった。
 エリザベスは、すっかりアントワネットの影に隠れ、日本ではあまり知られていないが、なかなか魅力のある女性だったようである。
エリザベスは、アントワネットよりも9歳年下で、革命が勃発した時は、まだ25歳だった。
そして、何かと評判の悪かったアントワネットとは違って、エリザベスは生活ぶりが堅実で、非常に信仰心の厚い女性だった。
人柄が温かく、ヴェルサイユの近くの村に自分の領地を持っていたが、領地で取れる野菜や牛乳を村人達に配っていたという。
「牛乳は、小さな子ども達のものです。全員に配り終えないうちは、とても自分が飲む気にはなれません。」
と、言っていたという。
エリザベス王女については、「天使のような女性だった」という証言がいくつも残されている。
一見、大人しそうでいかにも優しい女性に見えるのだが、乗馬と狩猟が好きなスポーツウーマンでもあり、芯は強く、気丈でしっかりものだったという。
エリザベスが結婚適齢期になると、いくつもの縁談が舞い込んできた。
しかし当時は、いったん他国の王家に嫁いでしまうと、もう生涯実家に帰れないのが普通だった。エリザベスは、フランスから離れたくなかったし、家族とも別れたくなかったようで、ある手紙では次のように語っている。
「私はフランス王女なのですから、私が結婚できるのは、どこかの国王の息子だけです。そして、国王の息子というものは父親の国に君臨しなければなりません。
そうなれば、私はフランス人ではなくなりますが、私はフランス人でいたいのです。
ここ、兄の玉座の足元に留まり続けるほうが、他の玉座に上るよりもマシです。」

こうして、エリザベスは生涯独身でいる道を選んだのである。
1792年、8月10日の王政倒壊後、エリザベスは国王一家と共に、タンプル塔に幽閉された。
革命に激化の兆しが見えてから、エリザベスは逃げようと思えばいくらでも逃げる機会はあったはずである。現に、二人の兄、プロヴァンス伯爵と、アルトワ伯爵は外国に逃げている。
しかし、兄夫婦の事が大好きだったエリザベスには、彼らを放っておいて自分だけが逃げるということができなかったのである。
こうして、彼女は兄夫婦と共に、最期まで運命を共にすることとなったのである。

目心優しき王女は、悲しい末路をたどることとなりました。
まだ、革命の波が押し寄せてこない時期に、エリザベスがアントワネットと一緒にいる所を見たある人物が、こう言っています。
「王妃様が、この地上の最高のプリンセスなら、妹君は天上のプリンセスというご様子です」と。
正に、天上のプリンセスは、断頭台にたつような人物ではなかったのです。しかし、結局の所、国王の妹に生まれたことが罪だった、という他はありません。
それが、革命なのでしょう。





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