どんっ(衝撃)愛するアントワネットの為に、国王一家の亡命を画策したフェルゼン
厳しい警護のチュイルリー宮を抜けて国境を目指し、アントワネットの母国オーストリア軍と合流するこの計画は、国境まで50キロに迫ったヴァレンヌで発覚・・・。
ラストチャンスを逃したルイ16世夫妻の運命は、断頭台への階段を昇り始めてしまった。→ヴァレンヌ航空写真

逃亡ルート
6月20日 夜 サン・マルタン門からボンディの森へ
警備の目をくらます為に、別々にチュイルリー宮を出た一家は辻馬車で合流する。
サン・マルタン門をくぐってパリ郊外に脱出。ボンディの森に隠してあったベルリン馬車に乗り換えて、国境を目指した。
この時点で、不慣れなフェルゼンが道に迷うなどで2時間以上をロスしている。フェルゼン〜〜!
6月21日 朝 モーに到着
肉料理屋で朝食を済ませた後、シャロンへ向かう。
チュイルリー宮では国王一家の逃亡が発覚する。
6月21日 夕方 シャロン到着
郊外では珍しい豪華な馬車に人が群がり、ここを出発する頃には身元がバレはじめてしまう。
フェルゼンの危惧していた事態が起ころうとしていた・・。
シャロンから10キロ先では一家を警護するための軍隊が午後2時の約束で待機をしていたが、一向に現れないので撤退する。その直後に到着した国王一家とすれ違ってしまった。
6月21日 深夜 ヴァレンヌ到着

本人たちの到着よりも早く、国王逃亡の噂が届いていたヴァレンヌで、彼らは地元の民衆に取り囲まれて、その旅を終えた。
たった一日で辿りついたルートを、国王一家は3日間かけてパリへ引き返した。
葬列のように沈んだ馬車は、はやし立て、怒号を浴びせる民衆の間を縫って静かに進んだ。

何がいけなかったのか?
豪華すぎた馬車
警護の厳しいパリの街を抜けるまでは、ありたきりの辻馬車。そして、パリ郊外で長距離用の馬車を2台用意して、国王と王妃を別行動させるのがフェルゼンの計画であった。あくまでも目立たずに、一刻も早く国境をこえるためだった。
しかし、アントワネットは、国王と離れることを拒否。さらに、豪華なベルリン馬車を要求した。
荷物もワイン1樽の他、銀食器などと、およそ逃亡とは思えない内容だった。
道中はピクニック気分
ベルばら上でも、ルイ・シャルルが馬車の窓から景色を見てはしゃぐシーンがあるが、史実もこれと変わらない様子が窺える。
ルイ16世と子供たちは、途中で馬車を降り、近くを散策している。彼は、通ってきた道筋を特製の地図に書き込むなど、道中を楽しんでいるかのようであった。
とても命がけの逃亡とは思えない悠長な時間を過ごしたあげく、馬車の転倒や故障で、ここでも2時間近くを無駄にした。

目フェルゼンの計画どおりに、辻馬車で目立たないよう移動していれば・・アントワネットがワガママを言わなければ・・・。そして、国王一家がもっと緊張感を持っていれば・・。
このようなエピソードを見ると、見つかって当然だったような気もします。逃亡というよりも、正に旅行です。




この記事へのコメント
初めまして!!私は、ベルサイユのばらのファンである20歳の女の子です。
親戚の家に行った時にベルバラの漫画を読まされて、それからファンになりました!
ここのサイトはネットで色々調べていたら見つけました(^^)☆
私的には、アンドレが好きです。密かにオスカルを想い続けているところが、当時の片思い中の自分と重なったので。と、いう単純な理由なのですが(^^;)
バレンヌ逃亡事件については、漫画を読みながらハラハラしましたが、こんな奥深いことがあったとは。
マリーアントワネットが、無事に亡命できていればどんな未来だったのでしょう。悔やまれます。
Posted by あかりん55 at 2008年03月05日 23:59
コメントありがとうございます☆
20歳という若さでベルばらファンだとは・・・恐るべしベルばらですね!
アントワネットが無事に亡命できていたら・・・とは、私もよく想像してしまいますが、きっと‘悲劇の女王‘ではなく、‘卑怯な女王‘として伝承されていたんではないでしょうか。
また、遊びに来てください☆
Posted by 管理人 at 2008年03月13日 09:31
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