どんっ(衝撃)首飾り事件で渦中の人となったローアン大司教は、僅か28歳でアカデミー会員になった優秀さを買われてストラスブールで聖職に就いたのを皮切りに、ウィーン駐在大使、宮中祠祭長、ローマ法王庁枢機卿を歴任の後、ストラスブールの大司教となったフランス聖界の実力者である。そして、アントワネットの輿入れの際に、ストラスブールで彼女に歓迎の言葉を述べたのもこの人である。
しかし、聖職者にあるまじき放蕩ぶりでアントワネットの不興を買っていた彼は、王妃との間をとりなしてくれるというジャンヌ・ラ・モット夫人の口車にまんまと騙されるのである。
王妃が、宝石商べメールが売りに出していた時価200万リーブルのダイヤの首飾りを購入したがっているとローアンに吹き込み、その保証人に仕立て上げ、代金の一部まで巻き上げて手に入れた首飾りを、ジャンヌは分散させて国外へ売り飛ばしたのである。
一方べメールは、代金がいつまでも支払われないことに業を煮やし、国王夫妻に直談判する。そして・・・首飾り事件が発覚したというわけである。
 すっかりとジャンヌに騙されていたローアン大司教の立場を思いやって事を荒立てまいとしたルイ16世に対して、毛嫌いしているローアンが、自分の名前を出して釈明することに激怒したアントワネットは、彼の逮捕を要求する。そして、高等法院の法廷へ追いやったのだった。
 結果、ジャンヌは極刑を言い渡されたが、ローアン大司教は無罪。巻き添えを食った被害者であるはずのアントワネットだが、国民は王妃の贅沢への嫌悪感と不信感を募らせたのだった。
 コンシェルジュリーに隣接する裁判所の前庭で、主犯のジャンヌに対する鞭打ちと、焼きごての公開処刑は行われた。受刑後、彼女は終身禁錮刑で収監されたサルペトリエール監獄から脱獄する。その手口の鮮やかさは、ルイ16世の従兄弟であるオルレアン公が関与しているとの噂が立つほどだったという。
 逃亡先のロンドンで「回想録」を発表し、アントワネットの評判をたちまち悪くすることとなった。しかし、ジャンヌは1791年に自宅の窓から転落死をする。最期まで、スキャンダラスな人生だったというわけである。
目有名な「首飾り事件」・・・。しかし、ジャンヌはずる賢く、頭良すぎです。それに、ここまでスキャンダラスな人生は普通送れません。
ローアンもバカというか・・・単純というか・・・。情けなくなってしまいます。そして、一番可哀相なのは全く無関係であるアントワネットです。この事件で国民の王妃に対する目は、ますます悪くなりました。
正に、フランス革命の引き金ともいえる事件でした。






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