サン・ジュスト
ぴかぴか(新しい)フロレルという愛称で呼ばれているサン・ジュスト。
本名:ルイ・アントワーヌ・レオン・ドゥ・サン=ジュスト

1785年、ソワソンのオラトリオ派の学院を修了後、1788年にランス大学法学部に入学。入学後1年を経ずして学士号を取得した。
1789年にはエロティックな風刺歌「オルガン」を地下出版し、伝統、権威、カトリック教会、国王を批判。追われる身となる。この時、ベルナールロザリーの家にご厄介になっている。
1790年には23歳で国民衛兵隊長となり、その年の7月14日の連盟祭に参加。1791年には「革命及びフランス憲法の精神」を発行し、革命の最中にあって最も若い理論家となる。
 その生涯において数々の名演説を残すが、もっとも有名なものは1792年に8月10日の革命後に行われた国王裁判での「処女演説」。
サン・ジュストは25歳の若さで国民公会議員として参加。その痛烈かつ冷徹な演説により、ルイ16世の処刑を決定付けた
しかし、運命の「テルミドール9日」(1794年7月27日)の翌日、最後の演説を反対派に妨害されて果たせぬまま、ロベスピエールと共に26歳の若さで断頭台の露と消えた。
その美貌と冷厳な革命活動ゆえに「革命の大天使 (Archange de la Revolution)」との異名をとる。
ちなみに、テレビ版では反王政の冷酷なテロリストとして描かれている。自称、「花のサン・ジュスト君」だそうです。






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