antowanetto.jpg 貧しさに苦しんでいたフランス国民は、初め若き国王夫妻の治世に期待するが、それは次第に失望に変わる。
些細なことで、庶民の子どもを射殺したド・ゲメネ公爵を国王の前で罵倒して謹慎処分になったオスカルは、その後貴族の馬車に母を轢き殺され、孤児となったロザリーという少女を保護する。ロザリーは、以前パリ市街で病気の母の為に金が必要であり、てっきり男だと思ったオスカルに「私を一晩買ってください」と身売りをしようとしたことがあった。当時、まだ彼女は12歳だった。
 一方のアントワネットは、国民の苦難など知るよしもなく、親友であるポリニャック夫人との交遊に夢中になっていた。そして、フェルゼンに感じた胸の高まりは、いつしか激しい愛へと変わっていく・・・。オスカルも、またフェルゼンに惹かれ始めていたが、彼女はその感情を表すことはなく、またアンドレもそんなオスカルを見守ることしかできず、苦悩していた・・・。
 王女が誕生したのを機に、アントワネットはプチトリアノン宮に転居し、国費を浪費して庭園を造園する。母のマリア・テレジアは彼女を心配するが1780年に63年の生涯を閉じた。→マリアテレジアが怒った娘の肖像画
死の直前まで、愛娘の身を案じていたという。→浪費の女王アントワネット
母の死を悲しむアントワネットを、更なる悲劇が襲う。ロザリーの姉、ジャンヌがアントワネットのサインを偽造し、ローアン大司教をたぶらかして160万リーブルもの首飾りを騙し取ったのだ。世に言う「首飾り事件」である。→王妃人気凋落の引き金「首飾り事件」
事が露見して、オスカルに捕らえられたジャンヌだが、全ては自分と同性愛関係にあった王妃の指示だと主張する。アントワネットは激怒するものの、判決は彼女の意に反したものだった。国民の心は、すでに彼女から離れていたのだ・・・・・。





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