berusaiyu3.jpg王太子妃となったアントワネットは、全フランス国民から祝福される。
1773年、アントワネットが初めてパリを訪れた時は、幾万もの市民が沿道を埋めつくし、彼女を歓喜で迎えた。羽のように軽やかな足取り、気高く堂々とした身のこなし、そしてオーストリアハプスブルク家独特のつんとした唇からこぼれる輝く微笑み、しかし・・・中でもパリ市民を驚かせ魅了させたのは、ミルクに紅薔薇の花びらを浮かべたようなアントワネットの比類を絶する美しい真珠のような肌の色合いであった。しかし・・彼女のベルサイユでの生活は、決して幸福に満ち溢れていたわけではない。
誇り高いアントワネットは、ルイ15世が君臨するベルサイユで、彼の愛妾であるデュ・バリー夫人が娼婦出身であることを嫌悪し、彼女を徹底的に無視し、夫人と激しく対立してしまう。それはそうと、オーストリアの母マリア・テレジアは、アントワネットが幼い頃から、体を売る女・・・娼婦、売春婦は女性として人間として最も卑しいことだと教えをしていたからだった。
オスカルをも巻き込んだ女の争いだったが、30歳も年の離れた愛人に心を奪われていたルイ15世は、同盟破棄も辞さない勢いで激怒し、アントワネットに妥協を厳命、彼女はしぶしぶ命令を受け入れる
ついにデュ・バリー夫人に屈服したアントワネットは、宮廷生活にも退屈し、オスカルを護衛として連れてオペラ座の仮装舞踏会に出かける。そこで二人はフェルゼンと初めて出会う・・・。
不注意でアントワネットを危険にさらしたオスカルの従者・アンドレを、フェルゼンがオスカルと共に懸命にかばったこともあり、3人の仲は急速に接近していった。オスカルに命を救われたアンドレは、いつか彼女の為に命を捨てる覚悟をする・・・。
そんな時、国王ルイ15世が突然の病魔に倒れて逝去し、アントワネットの夫である王太子ルイがルイ16世として即位。同時にデュ・バリー夫人は失脚し、ベルサイユを追放。→デュ・バリー夫人のシンデレラ物語
アントワネットは、名実ともにベルサイユ・・フランスの女王となった。




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